今回は「なぜ人は考えるのか」についての記事です。人が考えるのを止めない理由を体験談を交えながら紹介します。
考えることが大好きだった幼少期
私は子供の頃から1人でいる時は、ずっと考えるのが当たり前でした。小学生の頃は、『週刊かがくる』という子ども向けの科学雑誌を読むのが好きなくらい世の中のハテナについて考えるのが好きだったのです。
人間は生き物ですから、動物です。しかし、動物と違って私達人間は考えることができます。これは、普通のことのように感じますが、実はすごく素晴らしいことです。
人は考える葺である
『人間は1本の葦にすぎず、自然の中では最も弱い者である。だがそれは考える葦である』(『パンセ』より)
「人間は考える葦」これはパスカルの有名な言葉ですね。以下、解説を入れておきます。
無限の宇宙と比較したら、人間はちっぽけな葦のように頼りない存在。宇宙が人間を殺すことなんて一雫の露ほどの力でいいんだ。でも、それを知っている人間は「考える葦」であって、それを知らない宇宙よりも素晴らしいんだよという事です。(解説『眠れないほどおもしろい哲学の本-富増章成より』)
人間がなぜ新しい商品や技術を生み出し、世の中をもっと上手くしていけるのか、それは考える力が備わっており、考えることを止めない人がいるからです。
▼パスカルの『パンセ』を読む▼
何も考えない人の心理に疑問
この人達は何を考えて生きているのだろう?
教育水準も高いわけでもないと案内の運転手に聞いていましたし、結婚できる年齢になれば結婚して、たくさんの子どもを持つ。そして、仕事をして暮らす。
人はそれぞれですが、皆んな同じような人生だと、少なくともあの時私には見えたのです。知識があっても、それを使わなければ知識がないように、考える能力があっても、それを使わないのであれば持っている意味がないのではと私は感じました。
もちろんまだ幼い子ども仕方がありませんが、成人になってもしっかり考えられない人があまりにも多いです。考える努力をせず、感情のままで生きていて人を脅かす人をみると、なんて子どもっぽいのだろうと思ってしまいます。
考えるのがめんどくさい人は甘えてる
ある授業テキストの中の会話で、マイセン(ドイツのブランドの食器)が話に出てきました。そこで、値段はいくらみたいな話になっていたのです。その内容の予習時にある疑問が浮かんだのです。それは、このお皿とグラスって、日本円でいくらだろう?ということです。
また、「教授もなんだか質問してきそうだぞと思いました」(私は予習時や、授業前は教授がどんな問いかけをしてくるかある程度シミュレーションしたものです。そこで、当時のレートを確認し、授業前に計算していたのです。すると、狙った通り、教授が「今1ユーロ日本円でいくらか分かる人?」と聞いてきたのです。私は手を挙げて答えたのですが、実は誰も手を挙げていませんでした。
私はなぜ他の学生は疑問に思わなかったのだろうと思いました。「考えるのがめんどくさい」それは甘えです。考える力が至っていないのです。
考えない人は改善しなければならない
私の中では、生きる事=考える事(=人間)だと思っています。そのため、考えない人は生きることができないとも思います。何も考えずに生きても日本では生活ができるのかもしれませんが、仕事が覚えられず解雇されたり、人に騙されたり、行き当たりばったりになってしまいます。
シンプルにまとめると、考える能力は人間だけに与えられたスキルだから、それに感謝して、もっと考えましょうということです。動物のように何も考えずに感情の赴くまま生きている人の人生より、遥かに「人間の持つ力を発揮している!」と思いませんか?
ちなみにこちらはすごく参考になった本です。「考えない人生はダメだ」と気づいた方はぜひ、一度学んでみてください!
▼考える力を今からでも養う▼
▼問題を見つけて考えて行動する方法▼

