私はクリスチャン(プロテスタント)です。今回は「クリスチャンってどんな人?」また、「どうしてクリスチャンになったの?」という素朴な疑問について回答していきます。
クリスチャンについて知らない人は、1人のクリスチャンがどのようにして信仰を持つのかを知っていただければと思います。
クリスチャンはどんな人?
クリスチャンとは、一言で言うと造り主なる神を信じ、イエスをメシア(キリスト=救い主)と信じている人です。
世界にはキリスト教徒が23億人と、現在世界では一番大きな宗教となっています。イスラム教徒が16億人いると言われおり、最近は世界的にも宗教離れが起きていると言われていますが今のところ最大です。
一方、日本のキリスト教徒はカトリックとプロテスタントを合わせても百万人程度で、人口の1%にも満たないとされています。
クリスチャンは普通の人
ここまで聞いてもまだクリスチャンはちょっと、変わっている?と思われるかもしれません。しかし、クリスチャンは皆さんと同じ「普通の人」です。なので、あなたの知り合いが実はクリスチャンだったという事も十分あります。(別に隠しているというより、あなたが受け入れてくれると確信するとクリスチャンである事を告白してくれますよ)
また、クリスチャンの私が個人的に思うのは、身なりがきちんとしている人が多いように思います。やはり、教会に行く=神様に会いに行っているので、クリスチャンは綺麗な服装で教会に来ています。
優しく朗らかな方が多いですが、神様を信じているという根本が心の奥で結成されているので、目に見えない芯の強さあるように感じます。
そもそも、イエス・キリストとは誰?
「イエスは、自分から十字架上で私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、神との正しい関係に生きるようになるためです 1ペテロ2:24」
イエスとは、2千年前、旧約聖書の預言通り人類の原罪(※人間を造った神に背を向け自分中心に生き、神に対し無礼な態度をとっている罪)のため、身代わりとなって十字架にかかって死んだ方です。
神は人間の罪を完全に赦し、清めるために、神自身の御子であるイエスを人間に見える形でこの世に生まれさせたのです。(イエスの母であるマリアは処女のままイエスを身ごもりました)
つまり、神は自分の愛する大切な子を死なせるほど、私たち人間をも愛していたのです。罪があるのは私たち人間であるのに、イエスが私たちの身代わりとなって死んでくれたために、私たちの罪は許されました。
この事を信じ、今日も世界中の多くのクリスチャンがイエス・キリストの御名を讃えている、ということです。
なぜ私がクリスチャンになったのか?
ここからは私自身のことを話していきます。私は22歳の時、クリスチャン(プロテスタント)になりました。私は突然「クリスチャンになる!」となったわけではありません。私自身母親がクリスチャンでした。その影響から、私は6歳くらいから教会に連れて行かれていました。教会に行くといっても、牧師の話を聞いて聖書を読んでいたわけでなく、子ども同士で遊んでいたくらいです。
しかし幼いながら「神様はいるんだな」とも何となく思っていました。
また、私のリビングの壁に掛けてあった御言葉のカレンダーに、「祈って求めるものはなんでも受けたと思いなさい。そうすれば、本当にそうなります マルコ11:24」という言葉があり、私はいつの日か神様にお祈りをするようになっていました。
大好きなぬいぐるみがなくなってしまった時は神様にお願いすると、本当に見つかり「神様は本当にいる!!」と純粋で幼い私は思いました。
小学校でいじめにあっていた時は、明日その子に悪口を言われないようにと、いい1日になるようにとお祈りして眠りにつくということもありました。しかし、それでも嫌な日が続くと、「神様は私の願いを聞いてくれない。神様なんていないんだ」と思うようになり、それからお祈りする事はすっかりなくなってしまいました。
それ以降、ずっと神様や教会からは離れていましたが、15歳の頃から私はよく母と話をするようになりました。母は、日曜日必ず教会に行っていました。母は私が幼かった頃に比べて、特に強制して教会に連れていく事はしませんでした。それでも母が教会から帰ってきたら、今日の教会で話されて内容を私に話してくれました。その内容は私にとって興味深いものでした。
聖書を読んで涙が止まらなくなった
大学生の頃、ちょうどキリスト教について調べることがあり、聖書を読みました。すると、なぜか涙が止まらなくなることがしばしばあり、私の中で驚きがありました。
「私はいつかクリスチャンになるのかな」
私の中でそのような考えが湧き上がってきました。私の中でキリスト教は特別なものになりつつありました。何か私生活で悩みがあると、教会に行って牧師先生や母に祈ってもらうことが当たり前になってきました。
母は自分の基盤となる物があれば、人生でどんな事があっても恐れることがないと教えてくれました。これから生きていくにつれ、自分の力では到底かなわない、大きな障壁が必ず現れます。しかも、私は将来成し遂げたいという夢をたくさん持っていました。そのため今自分に何が必要なのか分かったのです。
色んな迷い・葛藤があり、開けようとその扉の手前までいたにも関わらず、開けなかった私がようやくその扉を開けることが出来たのです。そして信仰告白をし、洗礼(バブテスマ)を受けました。
クリスチャンになって変わったこと
クリスチャンになってから、私はより積極的になりました。海外で1人旅をしたり、発展途上国と呼ばれる地で働いたり、今まで色々してきて、これからももっと色々挑戦していきます。
「恐ることはない。私はあなたと共にいる神。勢いを与えてあなたを助け、私の救いの右手であなたを支える イザヤ41:10」
この御言葉は私の大好きなメッセージです。どんなことが起ころうと、神様がいてくださるから私は恐れずに前に進むことができます。それこそ、私が望んでいた基盤を持つということだったのです!
それもこれも、イエス様というセーフティネットがあるからです。私が大胆に動けるのも強いバックがいるから成し遂げられるのです。
クリスチャンはこんな人
長々と書いてしまいましたが、ここまで読んで下さってありがとうございました。「クリスチャンって案外普通の人なんだな」「クリスチャンになるまではそれぞれエピソードがあるんだな」ということ、少しでも理解していただけたなら嬉しいです。
※クリスチャンについてもう少し気になった方は、色々まとめてみたので、参考にどうぞ!